「哲学しながら」の看護

「哲学しながら」の看護

 「哲学しながら」の看護


緩和ケアを専門とするがん看護専門看護師の梅田恵さんは、「人を理解する努力を続けてきました」と話す。

「がん」と診断されれば誰しもショックを受けるだろう。頭の中が真っ白になっている患者さんに、たたみかけるように治療法の選択を迫るのではなく、患者さん自身が考え、自分はどうしたいのか、口を開くまであえて見守る。あるいは、治療方針を決めるときも、「仕事と治療の両立はできるのか」「お金はあるのか」「毎日の子どもの世話はどうするのか」といった現実の生活を無視することはできない。それらの課題を聞き、一緒に考え、その人が納得して治療を選べるようにサポートする。「その患者さんの背景にあるものを理解し、気持ちを想像することができなければ、その方にとって適切な対応をすることはできないんです。」

梅田さんが「人を理解する努力」を始めたきっかけは、看護師になって3年目、ホスピス病棟(緩和ケア病棟)に配属されたことだ。それまで一般病棟で次々と入れ替わる入院患者さんに対応していた梅田さんは、「目まぐるしく忙しくて、薬にしても処置にしても一つひとつの意味を考えている暇もなかった」と言う。
「納得しないことはできない生意気なナースだった」と当時を振り返る梅田さんは、「このままで看護師の仕事は続けられない」と、主に末期がんの患者さんが入院するホスピス病棟に移った。そこでは、確かに時間の流れは緩やかになったが、それでも自分の思うような看護ができなかった。
「それまでは時間がないから良い看護ができないと思っていたのですが、本当は自分の勉強が足りないから良い看護ができないんだと、ようやく気づいたんです。」

患者さんのなかには病気を受け入れているように見える人もいれば、受け入れられないままに見える人もいる。そもそも、病気を受け入れる、とかその人らしく過ごすとはどういうことなのか――。「毎日、哲学をしながら看護をするような日々が始まりました。」と、梅田さんは振り返る。

療養場所で変わらない治療を

療養場所で変わらない治療を


ホスピス病棟で経験を積んだ梅田さんは、「病気のために納得のいく時間を過ごせていない人に、どうやったらもっと力になれるか」を学ぶために、看護大学に入る。以来、イギリスをはじめとした海外で緩和ケアの研修を受けたり、大学院に行ったりと「学ぶ」ことと、現場で働くことを交互に繰り返してきた。
現在は、大学病院で非常勤として働きながら、看護師を対象にした教育と、緩和ケアを必要とする患者さんやご家族への相談事業を行う「株式会社緩和ケアパートナーズ」を立ち上げて活動している。

病気をきっかけに生きにくくなった人が、もっと自分らしく生きられるように。治療を始めても自分の人生を生きられるように――。
そのサポートをしたいというのが、梅田さんがめざすことだ。これを叶えるには、「どんな場所でも望む医療が受けられるよう、医療者の意識を変えることと、『あなたが選んでいいんですよ』と患者さんを力づけることが必要」と梅田さんは言う。

療養場所で変わらない治療を

「『家で療養しているから抗がん剤は使えない』『在宅だったら点滴はしないけれど、病院だったらこういうとき点滴しますよね』といった話を耳にすると、とても悔しい。『病院でも家でも、あるいはホームのような居宅でも、患者さんにとって適切な医療が提供できたら』と思ってしまいます。薬を使うかどうか、点滴をするかどうかは、家にいようが病院にいようが違わないはずです」
在宅だと十分な治療ができない、病院だと何か治療をやらなくてはいけない。「どこにいるか」で治療が変わるということが往々にしてあるという。

「看護師の意識も、『病院』『在宅』など"場所に所属しているナース"になっているのだと思います。その意識を、患者さん一人ひとりの希望を叶える"患者さん専属のナース"に変えていきたいのです」

看護師のおせっかい

看護師のおせっかい


また、「看護師が患者さんの出番を取り上げてしまうこともよくある」と、梅田さんは言う。
たとえば、家族が見舞いに来てくれないことを患者さんが悲しんでいたとする。そのことに気づいて、患者さんの話を聞き、患者さん自身が家族に「来てほしい」と伝えられるように力づけることは、梅田さんが考える「良い看護」だ。しかし、「看護師が家族を説得して呼んでくるというのは、行き過ぎではないか」と、梅田さん。

あるいは、病院を退院する高齢の独居の患者さんに対して、本人は「それでいい」と言っているのに、「一人では帰せないから」と、無理矢理遠くに住む兄弟の連絡先を聞いて、連絡する。その結果、患者さんが仲が悪くて連絡を取っていなかった相手の世話になってしまうことも。

看護師のおせっかい

「『最期に家族と交流が持てました』というのは、わかりやすく綺麗なストーリーかもしれません。でも、ややこしい生き方をしている人もいっぱいいて、最期の最期にそれまでの生き方を覆されるのが必ずしもいいことなのか……。仲が悪くて距離を取っていたならそのままでいい場合もある。看護師のおせっかいが、患者さんから自由や選択を奪っていることもあります」

最後まで納得のいく治療を選び、治療を受けながらも患者さんが自分の人生を歩めるようにするには、最初の段階から治療の主導権を患者さんに渡すことが大事という。
梅田さんは、治療のスタート時にかかわった患者さんには、必ずこう伝える。「どんな治療を受けるか、あるいは受けないかを決める権利はあなたにあるんですよ」、と。
たとえ、初期のがんであっても、高齢だったり、他の病気を持っていたりすれば、治療のリスクも高まる。そのため「積極的な治療は受けずに好きなことをして過ごしたい」と考える患者さんもいるという。痛みを取る治療でその希望を叶えてあげるのも、大事な医療・看護だ。ただし、経済的な問題や家族の事情で治療に二の足を踏んでいるようなら、代わりに決めたり、早く決めるようせかすのではなく、患者さんの状況を聞き、解決方法を一緒に考える。「そこを煙に巻いてスタートしないことがとても大事なんです」。

父の死が教えてくれたこと

父の死が教えてくれたこと


2年前、梅田さんは自身の父親を膵がんで亡くした。下痢や背部の痛みがあっても受診を渋っていた父親が、やっと受診して検査を受けた結果、膵がんと判明。すでに抗がん剤が使えないほど全身状態が悪化し、意識も朦朧としていたが、がんであることを知ると、病院ではなく家で過ごしたいと、はっきり意志を伝えた。
それは、娘である梅田さんから、家で亡くなった患者さんの話やがんという病気のことを、それまでに幾度となく聞いていたため、イメージがしやすかったからかもしれない。
亡くなる前日までお風呂にも入り、トイレで排泄をし、痛みどめも最低限の量しか使わずに、穏やかに最後の日を迎えた。がんとわかってから2カ月後のことで、その間、梅田さんはずっとそばにいられたわけではなく、実家のある京都と東京を行ったり来たりして看護をしながら、他の家族に病状やこれからのことを説明することにも多くの時間を費やした。

その経験は梅田さんにとって大事な気づきを与えてくれた。一つは、もし患者さんが家で最期を過ごしたいと思うなら、「病気と向き合えるよう家族を支える」ということ。
「患者さん自身は弱っていくことを体で感じ、悟る部分があるのですが、周りの家族が怖がって、弱っていく体を放っておけないということがあるのです。患者さんも含めて、変化していく体を受け止められるように、これから起こることについて前もって話をしたり、薬でできることを伝えたり、身体が楽になる体勢を教えるなど、看護師だからできることがもっとあることを再確認しました」

もう一つは、病気を受け入れているように見える患者さんでも、自身の病状を常に直視していたいわけではないということ。梅田さんの父親は、がんという病名も、治癒が難しいことも理解していたものの、「『がん』とか『治らない』とか繰り返し説明しないでほしい」と言っていたという。
「そう言われた時に、今まで患者さんに病気のことを理解してもらおうと、何度も話をしていたことを思い出し、ひどいことをしていたなと反省しました」

父の死が教えてくれたこと

看護師としての気づきを与えてくれた父の死は、同時に自信も与えてくれた。
「父が望んでいたように家で穏やかに看取れたことは、『患者さん本人の選択を支えるという、私の仕事の仕方は間違っていなかった』という父のメッセージのような気がしました。今後は、多くの人に、父のがんとの共存や希望する最期を支えることができた看護の力をもっと普遍的に伝えていきたいですね」

どこで過ごしたいか、どんな治療や生活を望むのか、人によって事情も価値観もさまざまだ。そして看護師は患者さんを安心させる技、納得した選択を支える技を持っている。そのことを看護師自身にもっと自覚してもらうとともに、一般の人にも伝えること。それが、梅田さんのこれからの目標だ。

(2014年3月)